開設者のプロフィール 上田 正巳 経済誌でライターを勤めるかたわら札幌市内のベンチャー企業経営者を組織化した「上勇会」を運営。2000年5月に中小企業向けクラウド・コンピューティング・サービスを手がける株式会社イー・カムトゥルーを設立。
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2014年 12月 13日
今月の日経・私の履歴書は、萩本欽一さんだ。いよいよ今日は坂上二郎さんとの出会いの場面となり、欽ちゃんの青春物語は一気にサクセスストーリーとして展開していくのだろう。
僕が欽ちゃんの洗礼を受けたのは、すでにコント55号の全盛時を過ぎ、ソロの活動で第二期黄金時代を迎えようとしていた時期。それもテレビではなく、ニッポン放送「欽ちゃんのドンといってみよう!」という投稿型のラジオ番組(集英社の一社提供)。父親の土産かプレゼントか何かでポータブルラジオを手にしていた小学校三年生は、布団にはいってイアフォンを片耳にあて(ステレオじゃないから片耳なのね)、ワクワクしながら21時40分を待っていた。小学校三年生にとって、欽ちゃんの世界は十分にラディカルで刺激に満ちていたのである。 その後、欽ドンはテレビに展開、視聴率を稼ぐガリバータレントとして萩本さんはコント55号以上の大ブレークを果たしていく。お茶の間の安全な笑いへと転換していく欽ちゃんからは徐々に距離を置くようになり、小生意気な小学生は、鶴光のオールナイトニッポンへと流れつく。そしてますます深夜のラジオ族として深く潜航し、そして、当然のように洋楽の虜となり、FMで渋谷陽一に耽溺し、カミユだサルトルだと、よくわかりもしない書籍にのめりこんでいくことになる。欽ちゃん的な人畜無害なお笑いは、忌み嫌う対象となり、嘲笑すべきコンテンツとなっていった。多くの思春期のクソガキがはまる陥穽である。 ぽっかりと空いた苛立ちの隙間を、完璧な形で埋めてくれたのは、ビートたけし、だった。漫才ブームのたけしではなく、1981年1月2日1:00、「元旦や餅で押し出す二年グソ」とともに始まった「たけしのオールナイトニッポン」で、ガラガラと世界は崩れ落ちた。ラディカルであること、シニカルであること、斜に(はす)に構えること。「すべては、たけしから始まった」。これは間違いない。 しかし、 かつて小学校三年生に降り注がれた欽ちゃんの笑いは、本当に唾棄すべきような対象だったのだろうか。 「私の履歴書」で綴られている若き日の欽ちゃんのストーリーは、生々しく、、ラディカルさに満ち溢れている。 明日以降、どうやって物語がロールしていくことになるのか。布団にもぐってイアフォンに手を当てていた、あの日のリアルを、49歳の今、反芻している。
by masami-ueda1
| 2014-12-13 09:43
| 日常・短観
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