開設者のプロフィール 上田 正巳 経済誌でライターを勤めるかたわら札幌市内のベンチャー企業経営者を組織化した「上勇会」を運営。2000年5月に中小企業向けクラウド・コンピューティング・サービスを手がける株式会社イー・カムトゥルーを設立。
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2007年 03月 07日
歳をとってくると、やたらと昔話をしたがる。困ったものである。本稿は、きっこのブログほどじゃないですが長いのでご了承ください。
どうやら、結論ありきで、サミットの洞爺湖開催が決まりそうな気配だ。たいがいこの手のものごとは〝そのようにして〟決まっていくのであるが、それはまた、別の機会に。で、今回はその話ではなく、洞爺湖畔、豊浦の山の上に聳え立つジャイアントロボの頭のような形をしたホテルをめぐる思い出である。 洞爺でのサミット開催が実現した場合、メーン会場には、エイペックス洞爺、いやもとい、ザ・ウィンザーホテル洞爺が、という記事が昨日の北海道新聞(ブロック紙)に踊った。晴れた日には日本海と太平洋を一望できる、頂点と言う名のこのリゾートホテルは、総事業費1,000億円。まぎれもなくバブルの遺産である。あの狂乱の〝過剰流動性の日々〟がなかったら、こんな代物は出来ていなかったはずだ。ああいう馬鹿げた金余り時代にも、それなりの意味はあるのだ。それがたとえ、バブルのあだ花だったとしても。 エイペックスリゾートの実現に並々ならぬ情熱を傾けた、カブトデコムの佐藤茂氏。90年代の私は、彼と北海道拓殖銀行首脳との不良債権処理をめぐる攻防の日々をどっぷりと間近で見ていた。特に、手形偽造事件を無理やり仕立てて、刑事告訴を武器に債権回収を推し進めようとした北拓幹部の蹉跌。刑事裁判の過程での裏切りに満ちた仁義無き泥仕合。あの頃の原稿の多くは、友人に作ってもらった簡易DBに今でも保存している。カブトと北拓関連の原稿タイトルは群を抜いて多い。 ちなみにWikipediaで北拓をひくと、 不良債権処理以下引用。 1993年 3月の年度末を挟んだ前後に、拓銀から傘下のダミー会社を通じた巨額の資金移動がなされている。総額400億円にも上る融資はダミー会社を素通りし、即日カブトのグループ企業へ流された。これはカブトへの支援にも見えるが、最終的にこれらはカブトグループによる拓銀系ノンバンク からの借入返済に充てられていた。こうして不良債権の「飛ばし」を行うと同時に、ダミー会社はカブト保有不動産も買い漁っていた。数ヶ月後のカブト倒産に備えて、優良資産を拓銀のものにする狙いがあった。こうしたダミー会社は30社前後もあったとされる。 6月になると拓銀とカブトの断絶は鮮明となる。カブトグループの中でも収益力のある甲観光・兜ビル開発の2社を実質的に乗っ取り、傘下に収めていた。この2社の取締役 を全員追い出した上、担保権を行使しカブト保有の2社の株式を拓銀名義に書き換え、極めつけにカブトの佐藤社長を札幌地検に約束手形 の偽造を理由に告訴 ・逮捕させた。拓銀は告訴の取り下げと引き換えに、カブトに社長退陣などの全面降伏を迫った。 社長の刑事告訴は大きなダメージであり、拓銀の資金援助無しでは存続が危ういという劣勢にあったカブトはこの条件を飲む。これを受けて拓銀は札幌地検に告訴取り下げを申し出るが、認められず、地検は「告訴を取り下げたら、拓銀の特別背任罪 を立件する」という趣旨を伝えた。つまり、拓銀はカブトを上手く誘導したつもりでいながら、自分自身も検察にマークされていたのである。 Wikipediaのこの部分の原稿は、ほとんど私の原稿を引用しているのではないかとも思えるのだが、そんなことはドーデモいい。まあ、こういうことだったのだよ。当時の河谷頭取の実兄が北拓の顧問弁護士をやっており、一連の戦略は、明らかに、この河谷弁護士のミスリードであったのだ。 まあ、そんなわけで、刑事告訴され収監された佐藤茂氏が無罪を確定させるまで、私は頻繁にカブトデコムの会長室(バブルの塔ともいわれた旧カブトデコム本社ビルの最上階にあった)で、彼へのインタビューを続けていた。公判中ということで、マスコミへの接見禁止条項が保釈要件に含まれていたことから、対外的には、一切マスコミとの接触は絶っていたことになっていたのだが。 あれからもうずいぶんと経った。公判過程では、担当検事が首吊り自殺し、佐藤茂氏の自宅マンションの管理人が屋上から転落死した。結局、佐藤茂氏は無罪となり、北拓は膨大なカブトの海外資産を取りっぱぐれた。完全な河谷兄弟の戦略ミスである。 そんな北拓とカブトデコム、すでに明らかな亀裂を裏に抱えつつ、93年春のエイペックス洞爺のオープンセレモニーでは、両者によるにこやかな交歓が行われていたのである。そのエイペックスがサミットのメーン会場になるやもしれぬという。そこでは、やはり同じようなバブル案件としてニッチモサッチも行かない状態にある長崎のハウステンボスで、好き放題お金を使わせてもらって高級ホテルブランドを構築した、窪山氏がタクトを振るっているのだ。なんたる皮肉なめぐり合わせ、と言わざるを得ない。 今、佐藤氏は北米で不動産事業を大きく展開しているが、あの当時の関係者との交流は一切絶っている。北拓が消えて間もなく10年。ちなみに、カブトデコムという法人そのものは今も倒産せずに存続している。
by masami-ueda1
| 2007-03-07 00:51
| 日常・短観
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Comments(2)
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by
ようすけ
at 2013-09-02 11:20
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札幌市内で不動産売買の営業をしている20代の者です。
最近、カブトで建てたマンションを案内し、カブトデコム、何より佐藤茂氏に興味がわき、ネットで調べてこちらにたどり着きました。 一般的にはバブルで私腹を肥やした人との見方が多いみたいですが、私はそうは感じません。 マンションにしても、クリスタルタワーにしても、山の手の旧本社ビルにしても、エイペックスにしても、この北海道で夢を実現しようとし、他の人より多く形に残せた方だと思います。 カブトデコムの事や、佐藤茂氏の事、海外資産の事を調べても、書籍も見つからなく、ネットでもなかなかわかりません。 もしまた機会があればカブトデコムの事を書いて頂けると嬉しいです。 よろしくお願いします。
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by
masami-ueda1 at 2013-09-02 17:45
ようすけ 様
コメントありがとうございます。この投稿以降、カブトデコムは解散、ハウステンボスはHIS澤田氏によって再生されるなど、環境は大きく様変わりしております。カブトデコムについては、まだまだ生々しいので、直接お問合せいただければ、と思います。
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